日本・台湾・韓国の劇団競演 いいだ人形劇フェスタ 08月10日(土)
華やかな衣装を着けた人形で演じる台湾の「真雲林閣掌中劇団」の団員 |
情感を込めて人形を操る韓国の「劇団ロギナレ」の団員 |
飯田市などで開催中の人形劇の祭典「いいだ人形劇フェスタ2013」の主要プログラムの一つで、日本と台湾、韓国の劇団が出演する「東アジア三大
人形劇フェスティバル交流公演」が9日、市内の市公民館で開かれた。同フェスタと台湾・雲林県の「雲林国際偶戯節」、韓国・春川市の「春川人形劇祭」の3
人形祭の友好提携5周年を記念して開催。出演3劇団が独特の劇で観客を魅了した。
台湾の「真雲林閣掌中劇団」の公演では、団員が客席に近づいて人形同士による武術などを披露。韓国の「劇団ロギナレ」は布と紙などで作った「塩人形」が 海を求めて旅をする演目を上演。団長の根瑩(ペグニョン)さん(37)は「言葉が違うのでどう伝わったか分からないが、真剣に見てもらえてうれしい」と話 していた。
日本からは、飯田市龍江に伝わる人形浄瑠璃「今田人形」(国選択無形民俗文化財)を伝承する今田人形座が出演。語り役「太夫(たゆう)」の金井ハマさん (100)の語りに合わせて、人形が驚きや悲しみを表現すると客席から拍手が起こった。東京都板橋区から訪れた仙北屋崇(せんぼくやたかし)さん(63) は「100歳の金井さんの太夫は印象に残った。海外の劇団も面白かった」と話していた。
【台灣生命力 】力挺台灣民俗文化 施金山窮畢生之力打造民俗村
台湾の「真雲林閣掌中劇団」の公演では、団員が客席に近づいて人形同士による武術などを披露。韓国の「劇団ロギナレ」は布と紙などで作った「塩人形」が 海を求めて旅をする演目を上演。団長の根瑩(ペグニョン)さん(37)は「言葉が違うのでどう伝わったか分からないが、真剣に見てもらえてうれしい」と話 していた。
日本からは、飯田市龍江に伝わる人形浄瑠璃「今田人形」(国選択無形民俗文化財)を伝承する今田人形座が出演。語り役「太夫(たゆう)」の金井ハマさん (100)の語りに合わせて、人形が驚きや悲しみを表現すると客席から拍手が起こった。東京都板橋区から訪れた仙北屋崇(せんぼくやたかし)さん(63) は「100歳の金井さんの太夫は印象に残った。海外の劇団も面白かった」と話していた。
施金山先生
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施金山是台灣民俗村創辦人,也是個虔誠的道教徒,一生頗為傳奇,已八十高齡的他,談起他的風光事蹟,一點也不矯情,他說:「落土八字命」,一切早已命定,他只是照本宣科。
作者﹕採訪/攝影 張庭卉
二 十歲時,經媒人介紹與鹿港鎮一位中醫師的千金結婚,太太婚前從沒下過田,婚後卻要跟著下田耕種,他看了不忍心,才下定決心改行做生意,但是沒有其他工作經 驗,更沒有人脈,實在想不出做什麼生意好。後來他發覺不動產將會是不錯的投資。於是決定開一家建材行,等生意逐漸穩定成長後。1967年,他開始投資不動 產,蓋預售屋,然後利用預收款與分期金再投資另一批不動產。
接著,他又投資了冷凍廠、養殖場,同時養了五個場的鰻魚,最後自己又做起鰻魚貿易,進口魚苗並出口鰻魚到日本。施金山形容,當時一噸鰻魚可以買一棟房子,五座魚塭年產300噸鰻魚,相當一年可賺進300棟房子,生意扶搖直上。
在商場上奮鬥了近40年,讓他累積了可觀的財富,他表示,若非命中注定,以他一個田庄囝仔,既無學歷,又無人脈,要闖出一片天談何容易。
歷史古蹟維護使者
1979年,時任省主席的謝東閔,指示要將八卦山地區開發成觀光旅遊勝地,施金山看到報導後,建商出身的他,看到了商機。1980年,他開始著手購買土地,前後花了八年的時間才向一百多位地主買齊了52公頃的土地。
在購買土地期間,他到世界各國參觀,發現各國遊樂區都建有民俗村,當時台灣還沒有。他說,兩蔣時期,不都表明將來要回大陸嗎?既然政府沒做,那就由他來做,讓台灣的傳統民俗文化有一處集中維護、傳薪、發揚的地方。
肩負著古蹟維護的使命,使得建園過程難度加大,國內外的設計師沒人敢承接,最後求教於鹿港的專家學者,共同商討後,決定找來各項目的專業設計師,一起打造民俗專區。
1990年開始動工興建、規劃。投資金額迄今已逾三十八億元,園區整體呈現的是台灣四百年來建築與人民生活的演變過程,儼然如一座戶外博物館。
仿建彰化市慶豐城 |
事業遇挫折 轉型再出發
施 金山的一生可說是一帆風順,他感激神明的庇佑、老天的眷顧。然而,1999年的921地震,幾乎要震垮他的事業王國。問他園區損傷有多大?他說,只倒了一 棵樹,園區建設完全沒受影響。只是中區被列為災區,民政局發文,請公務人員等不要到災區遊玩。自此,如日中天的盛況,不復可見。因此停業了二年,重新開業 後,台灣各地遊樂區如雨後春筍般,一家家的設立,現已多達二十幾家,競爭很激烈,經營日益艱困。
施金山說,他把一生奮鬥的成就與心血投注在文化村,921是他人生中最大的挫折,但他並不氣餒,反而更正面地應對。由於這幾年台灣社會消費型態的改變,施金山從中又嗅出了轉機,他說,現在台灣民眾注重休閒生活,朝休閒渡假村、溫泉SPA的方向走一定又是一片商機。
中二高與彰化東外環道的開通,讓往來民俗村的交通更加便捷,施金山已經做好再出發的準備,如果能有適度的資金投入,這將是他下一步要去開創的另一個事業顛峰。
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重建台灣400年歷史
台灣以往因過度追求新文明,而忽略了舊傳統、鄉土文化日趨沒落,也因為過份追求國際化而導致民族風貌盡失。
走 進台灣民俗村,彷若走入了時光隧道,過去先民一步一腳印開拓台灣的辛酸血淚,一頁一頁地呈現在眼前。有人形容施金山開創台灣民俗村,就像在種「文化神 木」。他在園區裡,以實地拆遷的方式,重建了瀕臨拆除的十餘棟老古蹟,仿建20餘棟,不同建材與型貌,自簡陋的竹草厝屋至磚造大厝及日據時期住屋、洋房到 現代大樓等,這在台灣是絕無僅有的記錄。
客家聚落 |
麻豆古厝一磚一瓦原味重現 |
台灣第一位女婦產科醫師診所 |
麻豆古厝牌樓左右兩側的詩詞字畫是獨有特色 |
不見天街牌樓 |
民俗村是古厝安身立命之所,也給老樹新生機,移植老樹已達 200多棵。 |
施孟宏為遊客導覽鹿港不見天街的建築與特色 |
新北投火車站在彰化
淡 水線鐵路,是台北到淡水間的重要支線。1910年通車,因應新北投風景區的開發,1919年增闢1.22公里長,北投至新北投支線並興建新北投站,是國內 僅存之典型東西混合式車站建築。1988年配合著捷運北淡線施工停駛,1989年12月16日由台北市政府捐贈給台灣民俗村復建,讓淡水鐵路之歷史滄桑, 得以長期展示,令人懷念。
日據時期,新北投車站原來就是為了溫泉觀光而產生的,設計上十分特殊,她雖是北淡線上的一站,但她是支線上的小支線,是中間站也是終點站。原為三等站,不過在1979年北投廢娼後,北投的溫泉事業一蹶不振,新北投火車站也由原先的三等站改為簡易站。
遷建後,透過再利用和重新規劃一系列的認識台灣鐵道文化活動,讓充滿懷舊歷史的老車站也因而被賦予新的使命,成功蛻變成代表台灣鐵道文化保存、推廣、發揚的殿堂。亦能使得更多的民眾了解過去的鐵道歷史及回憶,或許如此能不辜負老車站所經歷的輝煌歲月。
新北投火車站 |
9/9/2006 10:56:10 AM
本文網址: http://www.epochtimes.com/b5/6/9/6/n1446564.htm台湾で100年前に建てられた駅舎が里帰り、施金山氏の尽力と木造駅舎の数奇な運命
「台湾民族村」に移設されていた新北投駅の木造駅舎を、元あった台北市に再移設することが発表された。
現地の報道によると、新北投駅の木造駅舎が建設されたのは、日本統治時代の1916年。和洋混合式の木造建築で、1937年に増築されている。温
泉地として有名だった台北市の北投に、淡水線(1988年廃線)の終着駅として建設された。駅舎は廃線後に取り壊される予定だったが、彰化県の台湾民族村
に移設されていた。
台湾民族村は、愛知県にある「明治村」のような建物を中心としたテーマパークで、台湾各地にある歴史的な建築物を、できる限り当時の工法で移設、展示している。
この台湾民族村を建設したのが施金山氏だ。農家に生まれた施氏は、結婚後に不動産業やウナギの養殖で財を成し、観光業に可能性を感じて台湾民族村 の建設に着手する。1980年から土地の買収にかかり、1990年に着工、台湾各地に残されていた古い建築物を移設して、1993年にオープンした。そこ には施氏が1元(約3円)で買い取った新北投駅の駅舎も含まれている。52ヘクタール(東京ドーム約11個分)の敷地には、100を超える歴史的建築物の 他に、アトラクションや宿泊施設などもある。
台湾民族村は、愛知県にある「明治村」のような建物を中心としたテーマパークで、台湾各地にある歴史的な建築物を、できる限り当時の工法で移設、展示している。
この台湾民族村を建設したのが施金山氏だ。農家に生まれた施氏は、結婚後に不動産業やウナギの養殖で財を成し、観光業に可能性を感じて台湾民族村 の建設に着手する。1980年から土地の買収にかかり、1990年に着工、台湾各地に残されていた古い建築物を移設して、1993年にオープンした。そこ には施氏が1元(約3円)で買い取った新北投駅の駅舎も含まれている。52ヘクタール(東京ドーム約11個分)の敷地には、100を超える歴史的建築物の 他に、アトラクションや宿泊施設などもある。
2007年に施氏が死去すると、残された負債を処理するために銀行が台湾民族村の競売を申請、当初27億元(約80億円)の入札価格は19億元 (約55億円)まで下がったものの、競売は不成立に終わっている。債権回収の中で、新北投駅の駅舎などに取り壊し計画が持ち上がったものの、彰化県が県定 暫定古跡(県文化財)として認定したため、そのまま残されることになった。
これと同時に起きていたのが、駅舎が元あった北投住民による返還運動だ。県定暫定古跡の認定により運動が下火になっていたところに、運営会社から 台北市に寄贈したいとの連絡があり、100歳近い老駅舎が約20年ぶりに故郷の土を踏むことになった。8月8日には再移設を祝う記念式典が行われている。
■「台湾民俗村」紹介ページ(日本語)
http://www.themeparks.net.tw/japan/park/park13/index.asp
■大紀元「力挺台灣民俗文化 施金山窮畢生之力打造民俗村」(中国語)
(2006年に書かれた施金山氏の紹介記事、最後に新北投駅舎の写真と文章あり)
http://www.epochtimes.com/b5/6/9/6/n1446564.htm
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